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ベーゴマ

子供の頃とくに小学校6年くらいまでは、葛飾は新小岩で育ち、
学校から帰り、ランドセルを奔投げて、其の頃の遊びといえばベーゴマやメンコにあけくれた。
とくにベーゴマはあの鉄の塊を更にヤスリ一本でゴリゴリと角を落として
自分で加工してそれで勝負するという楽しみを持つ。
あの頃はすべて本ちゃん取りっこで、夜、宿題もしないで苦労して削り上げたこまも
負ければそれで終わり、泣く泣く帰路にということも。
でも自分のこまは指定して再勝負出来る暗黙のルールがあったような気がする。

夕暮れ時なれば、力のある上級生同士の勝負で、ぶつかる鉄のコマは綺麗な火花が飛び、まさしく火花散る勝負だ。、
時々は皆で隣町に遠征に出かけるが、子供にとって隣町は通う学校も違い初対面ばかり、まさに異国。
Awayの勝負はやはり不利で、皆で悔しい思いをして帰ることも。
昭和の中期、屋内工業や町工場が多かった時代、
中には規格外の自家製のコマ、通称「センバン」を持って
場を荒らすものもいたが、それを又普通のベーゴマで倒すさらなるつわものもいて、
とにかく放課後は町内で上級生も下級生も一緒に遊ぶのが当たり前だったようで、
泣かされることはあっても、今で言う陰湿ないじめは無かったように思う。


東京下町ではタカと呼ばれる比較的体高のあるコマが使われ、中学になって千葉(市原)に転校したけど、
そこでは体高の低いペチャと呼ばれるそれが使われていて、更に下部を削り込み針ケツと呼ばれるものを加工して勝負する。
はじめはなかなか勝てなかったが、おかげで直ぐ仲間は出来、遊びの内容はどこも一緒で、いい時代だったようだ。

 

針ペチャ・・・・針ケツとも呼ばれ、ペチャべーの裏面を平らになるまで
           削りこみ、見た目はまるで八角形の円盤?で、
           裏面の中心に0.5〜1mm程の針状の突起を残し、
           その部分だけでコマを廻します。
           今思えば、よくもまああんなコマを廻せたものだと
           つくづく思います。
           トコの作り方も、東京とは若干違いました。