東京で音楽修行時代、バイト先の友達にそそのかされてその気になったのがきっかけで、
今思えば少々Bassにも「飽き」がきていたのかな。
子供の頃や学生時代も時々は友達と釣りにはいったけど、それは遊びの一環なわけで、一過性のもの。
とにかく、当時24〜5のアンちゃんが、安竿とおもちゃの様なスピニングリールをぶら下げて、
ボロ自転車で(当時は車なんか持てない)江戸川まで走り通ったのが釣り熱の始まり。
当時の大川の鯉釣りは、練り餌のブッコミが主流で、中には数本の竿を出し、
リールは太鼓型という人もたまに見かけた。
「珍しいリールですね・?」と声を掛けると、「ああこれ。両軸リールって言うんだよ。別に珍しくないよ。」
さらに聞くと、「両軸のほうが着水時のサミングで餌を(仕掛けを)静かに落とせるよ、もちろん力もあるし・・。」とのこと。
早速釣具屋に走り、少ない予算で買ったのがダイワの”シーライン”というやつで、
今では珍しいネジリ棒のレベルワインダーがついたもので、
「うん。あのときのあの人と同じようなやつだ。リールらしくてカッコいいな。」「今度、磯竿も買わなきゃ・・。」
「これならメーター級が来てもOKだな」などと、
私の夢や妄想を膨らませてくれるに十分な雰囲気を持つのが、それが両軸リールだった。
練り餌のついた重たい仕掛けを両軸リールで投げるにはかなり慎重にサミングのタイミングを計らないと
直ぐバックラッシで、ほつれたラインを直す度、苦い思いをした。
又、軽いサツマイモ餌の仕掛けでは、餌の抜け落ちを防ぐ為、ソフトな着水になるサミングを
ずいぶんと練習した思い出がある。
そのおかげで、後年、石鯛釣りをはじめた時も、キャスティングの苦労はなかった。
磯釣りは、千葉に戻り住んでから知り合った先輩に誘われて始めたものだが、
バブルの渦中もあってか、惜しみなく随分と釣りに月謝を払った。
何年たっても、「らしい」石鯛は釣れないけど、好きなABUやPENNのリールはどんどん増えてゆき、
両軸リールの名機ABU10000Cもその一つで、大義名分でこのリールが使えるのも石鯛を始めた理由の一つだった。
当時の磯釣りは沖磯でのそれをメインにしていたのでチーム釣行が多く、釣果にかかわらず、
夕宴もまた大きな楽しみのひとつだった。
そうでない休日は、だから当時はまだ鯉釣りも相変わらず並行して続けていて 、
単独釣行ではもっぱら淡水の釣りが多く、へら鮒や、当時流行し始めたルアー釣りも少しかじったけど、
とあるリールがきっかけでフライフィッシングと出会った。
その年のフィッシングショーで、(確か、第2回目位で、当時は幕張だった。)
今思い起せば、片持ち軸のディスクドラグのそれは、
両軸リールの範疇から外れるけど、当時の私の目には、太鼓型の好きなタイプのリールに映った。
「えらくカッコいいリールあるけど、これはなんに使うの?え、フライ用のリール?」・・(どうしてもこれ欲し。。)
翌週早速、東京の有名釣具店に行きそのリールだけ買うのもおかしいから、結局竿やその他も買い揃え、
かなりの散財で、フライ入門となった
タイイング、キャスティングとそれなりに踏襲したけど、結局フライオンリーにはならずで、
磯釣りや、他の釣りも相変わらず並行し、しかし、それでも肝心なのは常にリールであって、
いつの頃からか釣りもそこそこに、リールを自作する方向へと進んでいった。
つづく
このリールと出会わなければ
リール作りは無かったかも。
ko
たしか麻雀の最中だったっけか・・。対面のやつが両手を広げて、「江戸川いくと、こーんな大きいレンギョがつれますよ。」